今日は、義理の父・弟の会社の採用面接に行ってきました。
彼らの仕事は詳しくないのですが、嬉しいことに義理の弟は
「経営」や「採用」といった企業にとって根幹な部分をいつも相談してくれる。
なんだかんだ10年近く採用もやっているなーと
あっ このメルマガでも採用したことあったはw
今回も絶賛人材募集中ですので、近いうちに流れるvoicyの音声を聞いて興味を持たれたらご連絡ください。
(冗談抜きですw)
面接後、義理の弟から
「孝偉くん、、相変わらず
オーラ出しすぎ、相手ビビってたよー」
と、言われてまた「オーラか……」と思った。
ラグビー会場で初めて会う人とかにも、よく言われるんですよねー
「オーラ」じゃなくて、ただデカいだけの威圧感なのでは?と思うけどw
自分ではまったくそんな自覚がないし、正直ちょっと気恥ずかしい。
でも、なぜか昔からよく言われるんです。。
で、一時期、ていうか去年あたり、なぜかこの
「オーラ」って何だろう?って、考えてみたことがあります。
別にスピリチュアルな話がしたいわけではないし、むしろぼくは「スピ系苦手」と言い続けてきたタイプ。
でも去年も、一緒に仕事した女性から
「三浦さん、結局スピリチュアルですよ」
なんて冗談交じりに言われたり、毎年三峯神社に行くのが習慣になっていたり、気づけば自分の中に「そっちの要素」もあることは否定できません。
とはいえ、そっちのいわゆる「見えない力」ではなく、もっとリアルな「オーラの正体」についてぼくなりに考えた結果、
「オーラの方程式」
を、こう定義しました↓
ーーーーーーーーーーーーーーー
オーラ = 修羅場 × 前線(現役感)
ーーーーーーーーーーーーーーー
軽くご説明させてください。

まず「修羅場」。
これは、苦しかったり、厳しかったり、逃げ出したくなるような経験のこと。
地獄のような状況をくぐり抜けてきた人って、やっぱり顔つきも、声の張りも、まるで違う。
スポーツ選手、カリスマ経営者、表現者……。
彼らの存在感には
「過去にどれだけの修羅場を経験してきたか」
がにじみ出ている。
たとえば、ぼくがの大学ラグビー時代の話
高校日本代表候補の大型選手が後輩に入ってきて、彼らの控えに回されたことがありました。
ぼくの方が練習していたし、努力もしていた。
だけど、彼らが大一番の試合に出るたびに、明らかに成長していくのが分かる。
真剣勝負の経験って、それくらい人を変える。。。
練習じゃ埋められない差がつく。
そしてその経験が「オーラ」に昇華していたようなきがした。
ビジネスも基本は同じ構造、
どれだけ修羅場を経験したか、火の中、水の中をくぐってきたか
その数が増えるほど、人間としての「深み」が出てくる。
そして、それが自然とオーラとしてにじみ出るようになる。
再度、オーラの方程式 笑
ーーーーーーーーーーーーーーーー
オーラ = 修羅場 × 前線(現役感)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
もうひとつが「前線=現役感」。
今、この瞬間も本気で何かに打ち込んでいるかどうかです。
たとえば、元プロ野球選手って、引退直後はオーラがあります。
でも、その後の人生で新しい挑戦に取り組んでいない人は、どこか「過去の人」になってしまう。
一方で、引退後にビジネスに挑戦して成功している人は、現役時代と変わらない、
いやそれ以上のオーラを放っていることがあります。
ぼく自身も、今がたぶん人生で一番オーラが出ている状態かもしれません。
YouTubeも出版もTHE SHIGYOも、講演もプロジェクトも、どれも「真剣勝負」で取り組んでいます。
どれもが「公式戦」。
逃げ道のない試合ばかりです。
でもそれが楽しいし、やりがいがある。
つまり、過去にどれだけ修羅場をくぐってきたか、そして今、どれだけ本気で目の前の仕事に向き合っているか。
この「過去」と「現在」の掛け算が、その人の「オーラ」を作っているのだと思います。
あっ これ勘違いしないでください↓
自信に満ち溢れてる人がオーラを持っているわけじゃありません。
むしろ「俺すごいでしょ感」を出してる人は、ちょっとウザい 笑
そうじゃなくて、誰にも言わず、淡々と、
でも確実に「今」を戦っている人。
そういう人の背中に、なんか見ちゃうんだよなー。
そういう人が、本当の意味でオーラを放っている。
ぼくの友人でも、学生時代は目立たなかったけど、社会人になってバリバリ仕事していて、久々に会ったら
「え、こんなに存在感ある奴だったっけ?」
と思う人がいました。
やっぱり、修羅場もくぐって、今も現役で「最前線」で活躍してるからなんです。
オーラって、才能でも生まれつきでもない。
誰にでも出せるものだと考えます。
違うかな?? ま、それはそれで…。
では!w