きっと皆んな、外食から遠ざかっていることでしょう。
そして、、
テイクアウトのペースが上がっていることでしょう。
ちなみに三浦家のこの土日両方ともテイクアウトのオンパレードでした。
「なんかケンタッキーが人気みたいね~」
ママ友情報から得た妻がふと僕にこう言った。
僕
「へ~~なんでケンタなんだ?
マックは??」
妻
「知らない」
・・・相変わらずつれない返事w
気になる三浦は急いでネットで検索。
早速こんな記事を見付けた。
⇒コロナ不況でKFCが見せた底力 「新王者誕生」で外食の明暗はっきり
なるほど・・・コロナはキッカケに過ぎなくて
その前からテコ入れしてたんだなーと。
ちょっと前のケンタは、
「クリスマスと言えばケンタ」
というイメージは強いが、逆にその反動で他のシーズンに売れないという状況も併せ持っていた。
なのでその状況を打破すべく「日常食」というイメージを付けるためのメニュー開発や
テレビCMを単発じゃなく恒常的に流し続けた結果のこの数字のようだ。
凄い。
飲食店が軒並み厳しい状態の中での、このちょっとしたプチバブルは学ぶべきことが多い。
今回引っ越した街の駅にはケンタッキーがある。
昨日ランチを買いに娘と駅スーパーまで買い物に行った時そんな情報を知って、気になったので
「ちょっと寄ってみるか?」
と、娘に提案し、二人でケンタッキーを覗きに行くと、、
お昼時だったこともあり長蛇の列。。。
マックよりも並んでいた・・・
「すげえな・・・」と驚いている時、今度は娘が
娘
「パパ~前から気になったけど
このオジサンって誰?」
・・・おいおい、、娘よ、、、
カーネルサンダースさんを知らんのかね??
学校はどういう教育をしているんだ!
と、全く意味不明な怒りが込み上げてきたので
家に戻って三浦の
「カーネルサンダースさん講義」を始めてみました 笑
なんか、昨日は色んな意味でケンタッキーの日だった。
食べてないけどw
皆さん、、カーネルサンダースさんの経歴ってご存知ですか?
結構知っている人も多いと思うけど、なんとなく昨日のメルマガは彼について書こうと思ったんだけど、、
昨日のメルマガを読まれた方ならお分かりかもしれませんが、昨日は変なテンションになってしまったので書けず。。
なので1日空けての「今日」、お付き合い頂けましたら幸いです。
ご存知、カーネルサンダースがケンタッキーフライドチキン(以下、KFC)を立ち上げたのが
「65歳」
なんとその時の所持金は「0」
だから、色んなところで
「人生、何歳からでもやり直せる」
というエピソードでよくカーネルサンダースの話は出てくる。
彼はとにかく30歳になるまで1つの定職につけないフラフラ男であった。
KFCを立ち上げる前にこんだけの仕事をしている。
■農場の手伝い
■サザン鉄道
■ノーフォーク&ウエスタン鉄道
■イリノイ・セントラル鉄道
■弁護士実習生
■ペンジルバニア鉄道
■保険外交員
■フェリーポートの経営
■商工会議所の秘書
■ランプの製造販売
■ミシュランタイヤのセールスマン
・・・KFCに繋がりそうな仕事はない…w
人生の転機になったのはガソリンスタンド経営を始めた時。
この頃あたりから天職が見付からないも
仕事に対してはとにかく真面目にやれる人間にはなっていた。
(母とのエピソードは割愛。気になる方は調べてみてください)
そのガソリンスタンドに来るお客様から良くこんな質問を頂いた。
「近くに美味しいレストランない?」
その辺りに余りレストランはなかったが
幾つか候補を教えるも、お客様から
「不味いレストランばっかだな この辺りは」
と、後でクレームを言われまくり・・・
そこで、サンダースはこう考える。
「自分で作っちゃおう」
ガソリンスタンドの隣の空き地を利用して
「サンダース・カフェ」OPEN。
サンダース40歳、初の飲食業スタートの瞬間だ。
もともと料理は得意な方だったサンダースだが飲食業はやるつもりはなかった。
後年にサンダースはこう語っている。
「当時はやりたいこととかなかった。
ただ、目の前のやることをすべてやる!
という精神だけで働いていた。
その結果、勝手に未来が切り開かれた」
↑
ええ、、僕の大好きなエピソードです。
「自分の夢」
「やりたいこと」
なんつうのを、ボーーーっと探しても見付かる訳がない。
毎日一生懸命やるべき仕事をすることで、勝手に見付かるもの。
僕がよく発信しているこの内容は
サンダースのエピソードから持ってきております。
話は戻して、、
その飲食業が思いの外、好評でいい感じに流れが乗ってきた、、
が、
2つのピンチが彼を襲う。
1つ目、49歳の時、
「火事でレストラン全焼」
↑
これは、かなり自分の過ちだったと反省。
そこからまた再起するが、
2つ目
近くにハイウェイができて、クルマの流れが激減。
こればっかしはどうしようもなくお店を売却し残りのローンに充てたら完全無一文状態になった。
色んなピンチがあったらしいが
さすがにこの時ばかしは
「もう無理かも」と思ったらしい。
その時、サンダース65歳。
一応年金をもらえる歳になったが
こんなスズメの涙じゃ話にならないということで
また、彼はビジネスを始める決意をする。
不屈の精神は健在だった。
私に「引退」という言葉はいらない。
たとえどんな困難が待っていようとも、私は諦めない。
今までがそうであったように、これからも何回でも立ち上がる。
命ある限り私は働き続ける
・・・凄過ぎるべ。。。
65歳、すべてを失って最初にやったこと。
それは、サンダースカフェで人気だったチキンの作り方・レシピを
アメリカ中のレストランを駆けずり回りの営業。
1,009軒断られるもサンダースは諦めなかった。。。
そこからも数々の困難を乗り越え、今のKFCに到る。
後年でまたこんなことも言っている。
「あの時、火事がなかったら
あの時、ハイウェイができなかったら
KFCは生まれていない」
僕の活動コンセプトRe Startの師匠でございますw
なので、昨日は娘にもっと簡単に説明してあげました。
娘
「でもさー
そんな好きなのに
全然ケンタ食べないじゃん~
なんで~?」
・・・娘よ、、、それとこれとは・・・
なぜか口籠ってしまいましたw
今、サンダースが健在だったらどんな仕掛けをするのか?
それを考えると不謹慎だがワクワクしてしまう。
そのくらいの、バイタリティのあるオジサンだったということ。
年齢を言い訳にしている人は、ぜひサンダースの生き様を知って欲しいです。
詳しく知りたい方はこちらの本でも
⇒カーネル・サンダース 65歳から世界的企業を興した伝説の男
勇気をもらえます。
最後に彼の名言を幾つか載せて締めたいと思います。
それでは、、今週もコロナを弾き飛ばしましょうぜい!
では!
人生は自分でつくるもの。
遅いということはない。
人間は働き過ぎてダメになるより、
休み過ぎてサビつき、ダメになる方がずっと多い。
他の人に一生懸命サービスする人が、
最も利益を得る人間である。
いくつになったって、自分の人生をより価値あるものにするための努力をするべきだ。
何の問題も起こらない人生が、素晴らしい人生なわけがないのだから。