コピーライティング

ケンタのオジサンも65歳から!

きっと皆んな、外食から遠ざかっていることでしょう。

 

そして、、

 

テイクアウトのペースが上がっていることでしょう。

 

ちなみに三浦家のこの土日両方ともテイクアウトのオンパレードでした。

 

「なんかケンタッキーが人気みたいね~」

 

ママ友情報から得た妻がふと僕にこう言った。

 

「へ~~なんでケンタなんだ?

 マックは??」

 

「知らない」

 

・・・相変わらずつれない返事w

 

気になる三浦は急いでネットで検索。

 

早速こんな記事を見付けた。

 

コロナ不況でKFCが見せた底力 「新王者誕生」で外食の明暗はっきり

 

なるほど・・・コロナはキッカケに過ぎなくて

その前からテコ入れしてたんだなーと。

 

ちょっと前のケンタは、

 

「クリスマスと言えばケンタ」

 

というイメージは強いが、逆にその反動で他のシーズンに売れないという状況も併せ持っていた。

 

なのでその状況を打破すべく「日常食」というイメージを付けるためのメニュー開発や

テレビCMを単発じゃなく恒常的に流し続けた結果のこの数字のようだ。

 

凄い。

 

飲食店が軒並み厳しい状態の中での、このちょっとしたプチバブルは学ぶべきことが多い。

今回引っ越した街の駅にはケンタッキーがある。

 

昨日ランチを買いに娘と駅スーパーまで買い物に行った時そんな情報を知って、気になったので

 

「ちょっと寄ってみるか?」

 

と、娘に提案し、二人でケンタッキーを覗きに行くと、、

 

お昼時だったこともあり長蛇の列。。。

 

マックよりも並んでいた・・・

 

「すげえな・・・」と驚いている時、今度は娘が

 

「パパ~前から気になったけど

 このオジサンって誰?」

 

・・・おいおい、、娘よ、、、

 

カーネルサンダースさんを知らんのかね??

 

学校はどういう教育をしているんだ!

 

と、全く意味不明な怒りが込み上げてきたので

 

家に戻って三浦

 

「カーネルサンダースさん講義」を始めてみました 笑

 

なんか、昨日は色んな意味でケンタッキーの日だった。

 

食べてないけどw

 

皆さん、、カーネルサンダースさんの経歴ってご存知ですか?

 

結構知っている人も多いと思うけど、なんとなく昨日のメルマガは彼について書こうと思ったんだけど、、

 

昨日のメルマガを読まれた方ならお分かりかもしれませんが、昨日は変なテンションになってしまったので書けず。。

 

なので1日空けての「今日」、お付き合い頂けましたら幸いです。

 

 

ご存知、カーネルサンダースがケンタッキーフライドチキン(以下、KFC)を立ち上げたのが

 

「65歳」

 

なんとその時の所持金は「0」

 

だから、色んなところで

 

「人生、何歳からでもやり直せる」

 

というエピソードでよくカーネルサンダースの話は出てくる。

 

彼はとにかく30歳になるまで1つの定職につけないフラフラ男であった。

 

KFCを立ち上げる前にこんだけの仕事をしている。

 

■農場の手伝い

■サザン鉄道

■ノーフォーク&ウエスタン鉄道

■イリノイ・セントラル鉄道

■弁護士実習生

■ペンジルバニア鉄道

■保険外交員

■フェリーポートの経営

■商工会議所の秘書

■ランプの製造販売

■ミシュランタイヤのセールスマン

 

・・・KFCに繋がりそうな仕事はない…w

 

人生の転機になったのはガソリンスタンド経営を始めた時。

 

この頃あたりから天職が見付からないも

仕事に対してはとにかく真面目にやれる人間にはなっていた。

 

(母とのエピソードは割愛。気になる方は調べてみてください)

 

そのガソリンスタンドに来るお客様から良くこんな質問を頂いた。

 

「近くに美味しいレストランない?」

 

その辺りに余りレストランはなかったが

幾つか候補を教えるも、お客様から

 

「不味いレストランばっかだな この辺りは」

 

と、後でクレームを言われまくり・・・

 

そこで、サンダースはこう考える。

 

「自分で作っちゃおう」

 

ガソリンスタンドの隣の空き地を利用して

 

「サンダース・カフェ」OPEN。

 

サンダース40歳、初の飲食業スタートの瞬間だ。

 

もともと料理は得意な方だったサンダースだが飲食業はやるつもりはなかった。

 

後年にサンダースはこう語っている。

 

「当時はやりたいこととかなかった。

 ただ、目の前のやることをすべてやる!

 という精神だけで働いていた。

 その結果、勝手に未来が切り開かれた」

 

ええ、、僕の大好きなエピソードです。

 

「自分の夢」

「やりたいこと」

 

なんつうのを、ボーーーっと探しても見付かる訳がない。

 

毎日一生懸命やるべき仕事をすることで、勝手に見付かるもの。

僕がよく発信しているこの内容は

サンダースのエピソードから持ってきております。

 

話は戻して、、

 

その飲食業が思いの外、好評でいい感じに流れが乗ってきた、、

 

が、

 

2つのピンチが彼を襲う。

 

1つ目、49歳の時、

 

「火事でレストラン全焼」

 

これは、かなり自分の過ちだったと反省。

 

そこからまた再起するが、

 

2つ目

 

近くにハイウェイができて、クルマの流れが激減。

 

こればっかしはどうしようもなくお店を売却し残りのローンに充てたら完全無一文状態になった。

 

色んなピンチがあったらしいが

さすがにこの時ばかしは

 

「もう無理かも」と思ったらしい。

 

その時、サンダース65歳。

 

一応年金をもらえる歳になったが

こんなスズメの涙じゃ話にならないということで

 

また、彼はビジネスを始める決意をする。

 

不屈の精神は健在だった。

 

私に「引退」という言葉はいらない。

 

たとえどんな困難が待っていようとも、私は諦めない。

 

今までがそうであったように、これからも何回でも立ち上がる。

 

命ある限り私は働き続ける

 

・・・凄過ぎるべ。。。

 

65歳、すべてを失って最初にやったこと。

 

それは、サンダースカフェで人気だったチキンの作り方・レシピを

アメリカ中のレストランを駆けずり回りの営業。

 

1,009軒断られるもサンダースは諦めなかった。。。

 

そこからも数々の困難を乗り越え、今のKFCに到る。

 

後年でまたこんなことも言っている。

 

「あの時、火事がなかったら

 

 あの時、ハイウェイができなかったら

 

 KFCは生まれていない」

 

僕の活動コンセプトRe Startの師匠でございますw

 

なので、昨日は娘にもっと簡単に説明してあげました。

 

「でもさー

 そんな好きなのに

 全然ケンタ食べないじゃん~

 

 なんで~?」

 

・・・娘よ、、、それとこれとは・・・

 

なぜか口籠ってしまいましたw

 

今、サンダースが健在だったらどんな仕掛けをするのか?

 

それを考えると不謹慎だがワクワクしてしまう。

 

そのくらいの、バイタリティのあるオジサンだったということ。

 

年齢を言い訳にしている人は、ぜひサンダースの生き様を知って欲しいです。

 

詳しく知りたい方はこちらの本でも

カーネル・サンダース 65歳から世界的企業を興した伝説の男

 

勇気をもらえます。

 

最後に彼の名言を幾つか載せて締めたいと思います。

 

それでは、、今週もコロナを弾き飛ばしましょうぜい!

 

では!

 

人生は自分でつくるもの。

遅いということはない。

 

人間は働き過ぎてダメになるより、

休み過ぎてサビつき、ダメになる方がずっと多い。

 

他の人に一生懸命サービスする人が、

最も利益を得る人間である。

 

いくつになったって、自分の人生をより価値あるものにするための努力をするべきだ。

何の問題も起こらない人生が、素晴らしい人生なわけがないのだから。